木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 当然、横山さんも何の話かは想像がついています。「とにかく明日事務所開きに顔を出して!」という2人に向かって、「なんで行かなくてはいけないのか、来てほしいなら電話くらいしてくればいい」と頑なに拒みます。しかし、西川さんが何度か電話を入れていることを知っていた私が、そのことを伝えても横山さんの決意は揺るぎません。時間はすでに12時を回っています。朝7時の飛行機に乗らなくては、事務所開きには間に合わないのです。その後も粘り強く説得を重ね、ようやく「とりあえず、ワシから行きますわ」と言ってくれた時には、すでに1時半を回っていたように思います。疲れた体を引きずり自宅に戻って、少し仮眠を取った後、6時にはホテルへ横山さんを迎えに行き、7時発の始発便で、横山さんと、西川さんの選挙事務所へ向かいしました。

 報道陣が待ち受ける中、ややぎこちない表情をしながら壇上に登った横山さんですが、何とか「相方よりも、この嫁(ヘレン)さんを泣かさんように一票を入れてほしい。よろしくお願いします」と挨拶をしてくれました。西川さんと目こそ合わさなかったものの、一応仲直りという形はとれました。大人の対応をしてくれたのです。そんな横山さんを見て、ヘレンさんは涙ぐみ、西川さんは「ありがとう」を繰り返していました。そのあと横山さんは、師匠の横山ノックさんが推すラジオ・パーソナリティの中村鋭一候補事務所にも顔を出して、「師匠と言えば親同然、師匠の陣営だから来ただけや。相方は女房のようなものだから、女房のところへ行ったら、やっぱり親のところへも寄らなあかんやろ」と、横山さんなりの理屈を通したのです。

 投票日は7月6日、西川さんは102万票を獲得してトップ当選、中村さんは残念ながら5位で落選となってしまいました。当選後に会った西川さんの顔は、日焼けをして、何かを達成した精悍な男の顔つきに変わっていました。ただ、当選したからにはまず議員としての仕事を優先しなければなりません。立候補の表明以前に抱えていた8本の仕事(単独で「料理天国」・「生活笑百科」)など4本、コンビで{スター爆笑Q&A}など4本)はゼロになりました。8月からは単独で司会をしていた「素人名人会」などに復帰をしましたが、当分生活のペースが定まるまでは、ゲスト出演以外は考えられないという状況になったのです。

 しかし、それ以上に我々が考えなくてはならないのは、「やす・きよ」コンビの復活ということです。「いつ? どこで? どうやるのか?」すぐにも、そのための準備を始めなくてはなりません。一方の横山さんは、選挙後も変わらず自分の仕事をこなし、8月には一人で久しぶりに梅田花月の舞台にも立ち、乗りに乗って、観客の大爆笑を誘っていました。やはり、横山さんには舞台が一番似合うのです。早く「復活」を具体化しなくては!という思いを強くしました。結局、澤田さんがプロデュースされている「花王名人劇場」から、ということになり、10月4日梅田花月で「やすし・きよし漫才復活宣言」の収録をすることになりました。

 やすし・きよしさんの漫才は、定員の倍近く入った観客の熱気に煽られてか、7か月のブランクを感じさせないくらいに素晴らしい出来でした。汗をいっぱいにかいて、舞台を降りてきた2人の顔には、安堵感と共に充実感が溢れていました。あの夜、説得に行ったのは、まさに「この日のため」だったのです。もちろん、その思いは澤田さんとて同じこと。満足げな笑顔にそう描いてありました。同月12日に放送された番組は関東で22.9%、関西で34.9%と漫才ブームの頃に匹敵する数字をあげました。

 西川さんは、その後、3期18年にわたって参議員を務めることになりますが、西川さんの出馬表明直後の4月に、不摂生のため吐血して緊急入院をした横山さんの体が徐々に蝕まれていったことを考えると、今となっては、この日の舞台がコンビ人生の「最後の晴れ舞台」であったような気がしています。

壇上に登って挨拶をする横山さん

 

 

西川さんの当選を報じた新聞記事

 

 

参議院議員として初登院。登院盤のボタンを押す西川さん。

 

 

「やすし・きよし漫才復活宣言」の収録風景